私の過去生は、日本、ネイティブアメリカ、ヘブライ、マヤ、モンゴル、チベット・インド・・・等々です。

過去生と言ってもコンタクトしてくる存在もいたりするので、未来も過去も周波数帯が違うだけかなって感じなので〜

パラレルセルフなのです。

 

 

ヘブライの父

 

(銀河のマスターは、過去世の父 2010-02-23 のブログより)

 

朝日を背にして、白く輝く方が来られた。明らかに高次元のマスターだとすぐわかった。

どこか懐かしさを感じてよくみると、ヘブライの父が立っていたのです。

 

私が理解できるように、周波数を変えたようで、光の体の前にいかめしい顔の父が現れた・・・

 

 

「長い時間をかけて、はるかかなたから、星を渡ってあなたのところに来た」と言われて、ほんの一瞬で、多くの情報を伝えて去って行った。

 

彼は「銀河のマスター」と呼ばれる存在のようです。その父が地球にとらわれている娘をなんとかしたいと?きて下さっているような感じですね〜〜

 

「 私が光の体を取り戻すのをサポートしている」のですが、厳しいのです。

 

「・・・この世のものに心を委ねて、執着しないように」と、クールなひと言を残して去って行かれました。

 いかにも父らしと思った。

 

おそらく宇宙船に乗っておられると思うのです。数日前に、日常的な夢に、割り込んできた映像があって、宇宙空間を飛行しているUFOでした。

 

こちらに向かっている感じでしたし、対面中も、頭上に引っ張られる感じがしていました。

 

 

 

 

 私はいくつもの過去世を知っていますが、名前を教わったのは2度だけなのです。

 

チベットの時代と、ヘブライ人の時なのですが、ヘブライの私の名前はコードネームにかかわっていて、父がその名前を発音すると、タマシイを揺さぶられる。 

 

ことばの力は素晴らしく、固有の振動数をもって個人を認識させている、というのもうなづける。

 

 

 

 

インディアンの父

インディアンの父によく似ています。
インディアンの父によく似ています。

 

最近気づいたことがあるのです。 輪廻はめぐるという言葉があるように、もうひとつの過去生での、父との出会いです。 時代はわかりませんが、北米大陸のネイティブでした。

 

その父は、寝ている私の左肩の所に立って話しかけていた・・・ふっと目を覚ますと何度も見かけました。

 

夢にも、ビジョンにも現れて、詩人のような美しい言葉で語りかけてきた。

威厳に満ち、繊細で美しい顔立ちで、酋長の格好をしておられた。

 

 

階級のある社会では、世代交代がらみで色々あったようで、私はある意味、犠牲になった。

・・・・悲惨な死に方をした、まだ少女だった娘を憐れんで、慰めに来ているのだと、感じていた。

 

 

 

 

でも、過去生でも多様な生き方を学んできた。その体験をいま現在に活かしているはずなので、必要以上に掘り返すことはしない。私はそのように決めている。 

 

後年、ある能力者のリーディングを受けている時、私の背後に立たれたようで、ホワイト・イーグルと呼ばれている存在のイメージに似ていると言って下さった。

 

 

そのインディアンの父は、2009年8月15日、私の星の訪問者と前後して来られた。そして別れの言葉を告げると、やっと安心して去って行かれた。

 

「・・・傷ついたあなたが癒されるのに長い長い時間が必要だった・・・

私にとってあなたの傷は癒えないかもしれと思うほど深かった。

それは地球の苦しみのようでもあった。

あなたがこの星で繰り返し存在することによって、多くの体験を光に変えて、多くの生命と分かち合うことができるようになった」

 

 別れに伝えてくれた言葉は、これからも私を励まし続けるだろう。

 

 

インディアンの父とヘブライの父。

二人には必ずまた会うことができる。

どこかの星で・・・

どんなに姿かたちが変わっても、分かち合った遺伝子の信号をキャッチできるにちがいない⭐️ 

 

 

 

過去生の記憶が蘇る時

(2010/4/5 のブログ記事)

 

 

この1週間に、お二人の方から、私の過去世にまつわる話題が出ました。  

 

生まれつきエーテル視力が開いている友人からは、フビライ・カーンの娘だった時のことが細かく伝えられた。

 

「あなたは、小柄で、おとなしい顔をしている割には、ダンスが好きで、政治的な興味が強くて、唯一の肉親の兄を、王位に就けんと頑張っていたようですが、どうも、叶わなかったみたいですよ」

 

 実は私自身も、その時代のことは、何度も夢に見たし、神様から教えて頂いたので知っていたのです。

「あなたはフビライ・カーンの娘!!」

 

 多くの妃の中で、多分トルコ系の母から生まれた私は、ベリーダンスが好きだったようで 薄衣を纏い、いつも踊っていた。でも兄の存在はわかりませんでした。

 

 

 ⭐️もう一人の、富士宮在住の友人は、私の夫だった可能性がある方なのです。

 

 2001年5月12日、午後の穏やかな光の中で瞑想をしていた時です。目の前に衣冠束帯の方がお出でになって「宗良親王」と名乗られた。

 

 「あなたが必要とされるなら、いろいろお教えしたいことがある」と申し出られたのです。でも私は、お断りしました。

 

すると宗良親王は、「霊界でも、わたしは高い方にあり、教えることが許されているのですよ」

 

 ・・・・なにか、立ち去り難い様子で振り向かれたので、お訊ねすると、「あなたは、わたしの愛しき女性でした・・」と、映像を出して見せて下さいました。

 

 駿河の井伊氏の娘だったという私は、ふくよかで明るい表情のカワイイ女性でしたね~

 

前もって知っていれば、イケメンを前にして、少しは情緒的なお返事ができでたでしょうが、その頃の私は、自分の方向性を確立させる時でしたので混線は避けたいと、狭量だったかもしれません。

 

歴史に疎いので、 帰られて直ぐに、PCで「宗良親王」なる方を検索しました。後醍醐天皇の皇子で、天台宗の座主から還俗して南朝を率いたとのことでした。歌詠みの名手でもあったようです。

 

 宗良親王は、 浜名湖の北、引佐あたりにあった井伊氏の城を拠点にされたので、その時二人は出会いすでに正室がおられたわけですから、側室になったようです。

 

いつの頃からか「あなたは橘の紋」何度も夢で囁かれていたのです。それが時を経て、こういう形でやっと繋がったということになります。

 

 さて、たまたまお電話くださった富士宮の友人に宗良親王のことを思わず話したのです。

すると驚くことに彼女は有名な霊能者に”あなたは宗良親王”だったと言われていたそうなのです。それで地元の古代史研究科の方と遺跡とか調べていたそうで、詳しく教えてくださった!!!

 

というわけで、かつての夫と約670年ぶりに再会できたということになります❤️

 

 彼女も、輪廻の字のごとくに、同じパターンを繰り返したようです。親王時代は天台宗座主(仏教徒)から還俗したように、今生では、カトリックのシスターから還俗したのです。しかも、どこに行っても、何をしても、リーダーになる、威風堂々とした女性です。

 

 実際の宗良(ムネナガ)さんも、立派な風格のある方で、雅楽の東儀秀樹さんによく似ていらっしゃいました。

 

 

誰もが多くの転生を重ねてきて、今生は、いよいよ集大成だと思っておられる方は多いと思います。私もその一人です。

みんな宇宙の種を持ってこの星にやってきて、どんな花を咲かせたのでしょう💫