天孫降臨と龍宮の謎というのは、大きな、そして永い永い世の流れの出発点での、元つ神の遠大極まりないご経綸(神攻のプログラム)という観点から見直すことによって、その真相が見えてくるのである。
古事記の伝える「天孫降臨」は、実は二つある。ひとつはニニギノミコト、もう一つはニギハヤヒノミコトのそれであるが、本来はニニギノミコト場合は、皇孫降臨というべきではないか。後世三種の神器を奉じての万世一系と称せられる天皇家の始まりである。
しかし実はニギハヤヒのご降臨こそが、正統な「天孫降臨」といえるのである。それは聖徳太子の「旧事本紀大成経」という書物にその事実が証明されている。ニギハヤヒノ尊は、出雲海人族と強い結びつきがあり、丹後の宮津、天の橋立にある元伊勢・籠神社のご祭神であられる。
ここでは天照大神の「十種神宝」を奉持して、天降りなさったことが伝えられている。
ところで、木花咲耶媛命の皇子である火遠理命(山幸彦)は、籠神社社家である海部家のご先祖であり、さらに遠つ御祖は天火明御子(ニギハヤヒノ尊)なのである。
従って奇しくも、天孫と皇孫は龍宮を媒介として一体化しており、カゴメ紋の六という数と菊花紋の一六という数を加えた二二は、富士の天の理が表されている。
ちなみに、神武天皇のナガスネヒコ討伐に関わりのあるニギハヤヒノ命は、天孫降臨の命(ミコト)ではなく、後で襲名されたウマシマジノ命である。そのあたりを間違えることなく、歴史的年代をよく弁えておくことが大切である。
さて大事なことは、「十種神宝」のことなのだが、それは「マニ宝珠」と言われている。そしてこのご発動については、祓戸の神々や、宗像三女神がバックアップされる「日之出の神」即ち彦火火出見尊のご復活にかかわるのである。
この点をいち早く洞察されたのが、宗教界の巨人と言われる、大本教の出口王仁三郎師であった。